Column

2010 . 2 . 10

 少し前、出張で新幹線に乗っているとき、まぶしい朝日に照らされた真っ白で完璧な姿の富士山を右手に見ながら静岡出身のスタッフが一言「富士山ってどこから富士山なのでしょうか・・・」とつぶやいた。寝ぼけた頭には少しヘビーな程にこれは深い、と思った。瞬時に幾つかのことが思い浮かび、例えば建築における段差と階段の境目は?とか、カップラーメンの容器と数分後にゴミと呼ばれるその容器の境界線は?とか、口と言われる部位はどこからどこまでか、など、そんな話をしていた。共通して言えるのは、僕たちをとりまく名前という便利な決め事は、実は多くの場合、物として存在していないとても抽象的な意味でしかないということ。
 例えば、最初の例でいう富士山。富士山は存在していると思っている方が多いと思いますが、僕は「富士山」など存在していないと思います。富士山とは象徴です。意味と言い換えてもよいです。どこからかふくらみはじめ、あるところを頂点にしてまた引っ込みはじめるカタチの在り方を説明しているに過ぎないため、それは物ではなくて意味なのです。ゴミとは人間が勝手につけた意味であって物の説明は一切していないことは分かり易い例です。結局のところゴミの素材は酸化しはじめた細胞であったり、ポリエチレンであったり、木材かもしれません。ゴミという物質は存在していません。使っていた物がある瞬間にゴミに変わることがとても面白く、興味深いのがカップラーメンの容器です。意味の転倒といいますか、人の意識は何でも作り出すものだなとつくづく感心してしまいます。
 ということで、毎度のお話ですが、住宅にリビングなど無いのです。ダイニングも同じく存在しません。なぜそう断言できるのか、もうお分かりかと思います。存在しないものは設計出来ませんので、私の設計図書にはリビングもダイニングもありません。そんなことばかりクライアントに言い続けて何年も経ちましたが・・・・。

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