Column

2016 . 8 . 9

昨日、出張先のレンタカーで海岸線のうねうねと曲がった道を走りながら、この曲り方といいますか、体験自体が豊かだなと思いました。右手に小高い丘、左手は海という日本では典型的な風景ですが、都市で生活しているうちに、その自然な風景を忘れてしまいがちです。どういうことかといいますと、私の家がある茅ヶ崎の近くに巨大な住宅街が出来たのですが、そこには遊歩道と言われる散策路があるのです。そして、その散策路は人の手によってうねうねと単調な曲線を創り出され、歩く人はその人為的歩道に操られるかのごとく、曲線を繰り返しながら、干からびた大地を歩くことになるのです。曲がる必要がないのであれば、直線で繋ぎ、まっすぐに目的に向かって進めばよいという発想は、最近では歓迎されないのはよく分かるのですが、その結果、人が地形に沿って移動し、そして集落を形成してきたという歴史的事実を重く捉えることをせず、ただ曲げれば人はそこに<自然>的な風景を見いだすだろう、という計画者の安易な思想が見え隠れしています。海岸線をうねうねと走りながらいつも思うのは、海岸線は絶対的な力をもった大地の表象で、僕たち人類は、その大地に逆らうことは出来ない、ということです。以前、茅ヶ崎駅からまっすぐ南下して相模湾にぶつかったら右か左にしか行くことが出来ない、という体験談を交えて書いたことがありますが、同じことですね。acaaで私は<地形>をつくろう、とよくスタッフに言います。それは<住居>の中に<居場所>をつくろう、ということなのです。居場所がなければ、私たちは安心して住まうことが出来ません。どんなに立派な家具を置いても、広い空間を作っても、それは後天的な学習によって理解が可能な欲求であって、本能的な欲求では決してありません。住宅を設計する立場として、人が居る、という根源的風景を追い求め、そして人が住むために必要な空間を創っていくことに全力で取り組みたいと思っています。

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