Column

2017 . 12 . 26

無駄について考えています。何かといえば無駄を省く時代ですし、合理的に考えれば無駄のないものが良いと言われることは分かるのですが。何が難しいかといえば、無駄なものが何なのかが分からないことです。だからいつも考えてしまいます。”無駄”とはいったい何なのか、という疑問です。例えば目の前に食べ散らかした後のカップラーメンのカップとラーメンの汁が付いた割り箸、油のついたポテチの空き袋があったとします。この物たちは無駄なものでしょうか。より分かりやすくいえば、これはゴミでしょうか。はい、ゴミです。と答えなければ現代社会ではたぶん精神異常者として病院行きです。ですのでゴミです、と私は答えるのですが、本音ではゴミって何だ?と考えてしまいます。しかしゴミという物が存在しないから困るのです。つまり”ゴミ”とは概念であって情報です。だから物の側から言わせれば、「私はゴミじゃなくて発砲ポリエチレンの成形物であって、私もプラスチックを主体とする樹脂です」と答えるはずです。でわ無駄とかゴミとかいう概念はどこから生まれるのかと言えば、それはその人の事情が生みます。だから時代や地域や個人の事情が変わればゴミがゴミではなくなり、無駄が無駄ではなくなります。だから無駄を省く、と簡単に言われても本音では、”それは必要かもしれませんよ”と言いたくなります。今この瞬間に必要かどうか分からなくても、将来必要になるかもしれないから、その存在を評価する姿勢が大切なのではないかということです。もちろん、ゴミを全て大切に取っておいたらあっという間にゴミハウスの完成ですので、そんなことは出来ませんが(笑)これはあくまでも様々な概念に対する疑いを持つことの大切さのことなのです。戦時中、お金は役に立ちませんでした。紙切れと金属の破片に過ぎませんので。

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