Column

2019 . 8 . 30

月日の経つのは早いものです。様々なことに追われて何時も更新が滞ってしまいます。ところでacaaでは昨年から、竣工後半年から一年ほど経ってから竣工写真を撮影するようにしましたので、ホームページ上には近作があまり掲載されていません。理由はできるだけ生活の雰囲気を出して撮影したいということですが、1年点検を兼ねて撮影するときなども、どの家も大変綺麗にお住まい頂いていますので、嬉しくなります。我々の手がけた多くの家がWEBサイトや雑誌メディア等の取材をお引き受けいただく機会があるのですが、その様な中でも家具や小物や食器や敷物などから、家と調和しながらクライアントの個性が見え隠れする辺りに、住まわれている家としての趣と美しさを感じます。例えば、とても小さくて籠もり感のある居場所をつくったとしても、そこに人の気配を感じなければ味気ないものです。ということは、私たちが計画している空間というのは、当然ですが人が居るための場所なわけです。それは当然と思われるでしょうが、世の中は本当にそうですかね。量産される住宅やマンションのほぼ全ては、n-LDKプランと言いまして、一つの大きな部屋と複数の小さな部屋を廊下で繋いだだけの家ですから、それは本当に設計が楽で、そこに人が居てほしいというリアルな想像力と計画性を伴ってはいません。面積と数だけが価値を計る物差しですから、その空間と動物身体としてのひとの尺度の適合性や、状況によって変化する場の選択性の豊富さということは一切考慮されません。そしてそこに人が住んでいるという風景は、引っ越しした後に置かれるソファーやテレビが担保するわけで、空間はいつも無表情で無性格なものです。ソファーやテレビを責めるつもりはありませんが、規格化された工業製品のような家に、ずっと住み続けてよいと思える趣きが宿るのでしょうか。

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