Column

2006 . 10 . 18

 私たちは日頃から建物という「物」、目に見える物をどうにかして美しく出来ないか、と職業柄、考える。それは視覚という感覚器から入力される感覚であって、人間の感覚器の内の一つにすぎない。美しい、と思って感動する事はもちろん、視覚的な作用だけに限ったものではなくて、聴覚や触覚、臭覚にも味覚にもあるだろうと思う。でもやはり一般的に「美しい」というまか不思議な抽象的概念の対象になるのは視覚ではないかと思う。みなさんはどうですか?身の回りの物品は、なんとなく美しいもの、気に入った物を購入したい、という欲望は誰もが持っていると思うけど、建物はどうですか?不思議なものです。そこだけ、感覚が底抜け状態に、限りなく「無」なのです。どうして、建物を芸術の対象として考えられないのでしょうか。「美」などという抽象的概念は人によって誤差があるだろうし、私はそれを美しいとは思わない、とか、反論もおありでしょうが、私は普遍的な「美」の存在を知っています。だから何も迷わないですが、例えば、普遍的な「美味」はあります。これにも好き嫌い、という個人差を持ち出して反論をされる方もいらっしゃると思いますが、そういう方は「個体差」と「進化」を理解していないだけではないかと思います。進化論的に言えばやはり美味しいものは美味しい。誰が何と言おうとも、結局のところ美味しい料理屋は歴然と存在します。そして、その普遍的価値基準は、進化と共に微妙に変化していると考えた方が自然です。しかしながら、その間に、何百、何千と人は死に、生まれます。だれもその進化を実感する事は出来ません。歴史は過去を調査研究によって想像しますが、どんなに科学が進化しても過去の「感覚」を体験出来る人は、論理上、誰も存在しません。今の感覚を信じて、その「美」を実感し、物事を味わえる事が豊かさ、と私は考えています

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