Column

2007 . 10 . 4

 湘南海岸を車で走っていると、ここ数年でその砂浜の前に建て売り住宅、ハウスメーカー、地元ビルダーの設計施工?といったいかにも流行に迎合しきってしまった様な、安っぽさの極みの住宅が建っているところがあります。その中で一際目を引く存在の家があります。カタチは切妻、外壁やサッシは何の工夫も思想も無い平凡で且つ安っぽい仕上がりで、小さなバルコニーがデザインの要の如くピンク色に塗ってあります。それだけで十分な破壊力をもって、その美しい浜辺の風景に飛び込んでくるのですが、その前になんとメルセデスベンツが2台、まるで象徴の如く塩害に耐えながら屋外に鎮座しているのです。見た瞬間に、あぁこれは日本の貧しさの象徴だな・・と思いました。ベンツに乗って何が貧しいのか、とお怒りのメルセデスオーナー様、そうではありません。私は生活者としての心の豊かさの事を言っているのです。デザインに対する意識の未熟さというのは、度々指摘を受ける現代日本人の悲しい性ですが、あれだけ無意識且つ安普請な建築空間に住んでいながら、ベンツに拘るというのは、つまりベンツの本質も分からず、ただその象徴性に憧れて所有するということだろうと想像してしまいます。それは歴然と「物」にたいする欲求であり、その奧にあるべき精神性は見事に形骸化されています。つまり、なぜいいのか分からないけど、みんなが羨ましがるからきっといいものだ、そしてそれを所有している自分は立派な「はずだ」、と思い、安心する。立派なのはメルセデスであって、自分ではないのに、それに気が付かない。ブランドに拘るケースも似たようなものでしょう。お金をかけていい家を建てるべき、と言いたいのではなく、自分を取り巻く全ての生活環境は、平等にクオリティーを上げていくべき対象であって、それを誤ると「成金的」と言われてしまいます。超がつく様なローコストハウスであっても、精神だけは決して安売りしない、そんな素晴らしい住宅は世の中にたくさんあります。豊かに暮らすために必要なのは、自分の心であって、物ではありません。物は金で手に入りますが、心は金では買えませんから。

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