Column

2009 . 3 . 24

 先日、建築家室伏次郎さんの大学退官に伴う最終講義を拝聴するため、神奈川大学へ行ってきた。彼の創作してきた建築の解説と同時に、彼がしゃべった言葉の中で特に印象に残った言葉がある。「私は学者ではありませんから」この言葉の意味をどのくらいの学生が深く、そして重く受け止めているだろう。世間は物事に対する説明責任と責任回避に走り回り、いつも後ろを向いて走っている。学者ははたして前を向いているだろうか。仮説を立て、立証し、発表する。立証出来ないことはやるだろうか。あるいは可能性の低いことは?いい方を変えれば立証出来ることをやるのが学者か?
責任問題。我々は建築家であり、造ることでのみ、唯一その空間でありカタチをクライアントにお見せすることが可能となる。造ることはチャレンジであり、開拓である。常に前を向いてそこにある目標へ一歩でも近づくため、我々はジャンプする。つくることは責任をとることでもある。責任をとるためにつくっているのではないので、我々はひたすら走る。前を向いて走る。
説明可能なこと。それは既にある事実であり、可能性の扉を開いてはいない。だから建築の可能性を信じてジャンプする。そこにある真実は、建物が完成してはじめて見えてくる空間であり、クライアントの生活である。他には何もなく、言葉は既に意味を失っているだろう。私はやはり造っていくことしか出来ない人間だとつくづく最近思う。室伏さんの様に、つくる精神と構築する勇気を、私について来てくれるスタッフに伝えたい。

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