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「“湯河原の家”撮影」レポート

2007 . 9 . 1

8月中旬、イタリアのカメラマンAlessio Guarinoと雑誌LiVESの撮影が湯河原の家でありましたので、立ち会ってきました。猛暑の最中でしたが緑に囲まれた湯河原の家はさすがに涼しく、風も抜けてとても気持ちの良い時間を過ごさせて頂きました。普通の住宅街ならどこでもある熱射の照り返しがなく、覆われた緑で冷却されている様です。よく別荘ですか?と写真を見た方に尋ねられるのですが、紛れもなく家です。私はまだ茅ヶ崎の田舎に住んでいますからさほどでもありませんが、東京などにお住まいの方にしてみれば、やはり憧れの立地、となりますね。ぎりぎり海は見えませんが、現地に立てば、まぁ海なんてどうでもいいやって気持ちになります。

景観に恵まれた立地に立つ家は、開こうと思えば何処までも開放的に計画する事は出来ます。ただそれでは家ではなくて何かの娯楽施設になってしまいますので、一方で「いかに閉じるか」、を一生懸命考える必要が出てきます。都市型住宅では、閉じる事が計画のスタートラインとして設定される事が多いですから、「いかに開くか」、で建築家は格闘するところなのでしょうが、今回の様な立地でも逆の意味でいろいろ悩むのです。ただ、毎度言うのですが、いかに開くか、いかに閉じるかの先に無条件に「より明るく、より広い空間への評価」があるのならば、私は反論します。そう来れば、私はより暗く、より適切な広さへ、と言いたくなります。もちろん、暗闇あっての光だし、ヒューマンスケールあっての空間の広がりだ、という意味ですが。話が完全に逸れましたが、専門誌とは違う「人の居る風景」をファインダーに収めきろうとしている感覚は、両者とも同じ様に感じました。以前も書いたかもしれませんが、人の居る風景は、あるいは「動き」と言ってもいいかもしれません。一方で専門誌の写真は「瞬間」です。完全に時間を停め、息を止め(笑)、その一瞬の為に全てを整えて撮影します。どちらも役割がありますから、毎度ながら興味深く、撮影には出来るだけ立ち会う様にしています。ともかく、度重なる撮影に多大なる協力を頂いていますクライアントの好意に、心より感謝を申し上げます。有り難う御座いました。

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