Report

「横浜トリエンナーレ」レポート

2005 . 12 . 20

閉展まであと3日と迫った16日、晴天のもとにやっとトリエンナーレを見に行きました。なかなか予定が取れなかったので、当日も急ぎ足で見て回る事になってしまいました。私たちが芸術とふれあう場としてまずに思い浮かべるのは「美術館」などの様な公の空間で、そこで私たちはきちんと配列された各種の「もの」(絵画も含めて)を鑑賞するという経験を得るのです。多くの場合、そこに沈黙を保つ「もの」と、それを鑑賞側という構図がはっきりと見て取れる訳ですし、形式的に捉えると、展示されている「もの」が私たちの上位に存在して、私たち庶民はその「もの」を粛々と敬意を払いながら、「拝見させて頂く」という事になるのでしょう。それが古典的な意味での芸術であって、確実にそこには貴族と庶民の区別があった様な気もしますし、その正統な(?)芸術に対する敬意の様なものを継承する、その様な展覧会なども個人的に興味のある展覧会であれば出かける事ももちろんあります。でもそこには「教養を磨く」という様な形式性が邪魔をして、真にその「美」にふれるチャンスとはなりにくいのも事実ですね。

さてさて、横浜のトリエンナーレは、そんな悩む庶民の味方です。4年に一回の現代アート祭典(と言ってもまだ2回目ですけど)という訳で、「現代アート」というだけで、なんだか古典的な芸術から一気にジャンプした様なイメージがあるから怖いですね。現代アートというと、「理屈」抜きでは語れない、つまり添付されたテキストを参照してやっと、その意味が理解出来る、「小難しい!」という様な先入観をもしかしたら多くの人が持っているかもしれませんけど、実際に今回のトリエンナーレに行ってみて、説明の無さには驚きました。説明が無くって、そこにある極めて「日常的な風景」が広がっているという印象。展覧会の副題は「日常からの脱却」ですから矛盾する様にも思えますけど、実は決して矛盾はしてません。私たちの日常では、しかるべき所に出かけないと「アート」に出会う事は出来ない、額縁に切り取られた「素晴らしいもの」を特別な時間を割いて非日常的に拝見させて頂かなくては、真の芸術に触れられないと思っているのではないでしょうか。でも、実はそうではないのです。「アート」は目の前に転がっている日常の中にこそそのチャンスを狙って転がっているのです。何処かに出かける必要はありません。また気合いを入れて、眉間にシワを寄せて凝視する必要もありません。そこにある「現実」にユーモアと「!」を見いだす事が出来たらそれが生活を豊かにし、私たちを現代アートの世界へ導いてくれるのでしょう。やっぱり「アート」はみんなのものでしょうし、そこに上下関係など無いんだよ、と訴えていた様な気がします。

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