Column

2012 . 10 . 30

世界ふれあい街歩き、という映像が好きです。1年以上前だったと思いますがNHK?でたまたま視て、その後出張先でよく行くパスタ屋さんでも映像が流れていました。調べてみるとDVDの販売もしているみたいです。その映像は、人の目線で(高さで)カメラを回しながらひたすら海外の集落だったり街だったりを徘徊するだけのものです。こちら側から話かける音声は一切録音されてなく、道端にいる人や庭先、窓辺に居るひとがこちらに話しかける声と環境音だけが聞こえてきます。テレビにありがちな根回しや企画性をとことんまで排除したその企画のお陰で、本当に僕自身がそこを歩いている様な気分になってしまいます。夕暮れ時の港街を歩いている映像を見ましたが、その路面の石のでこぼこ感や肌をかすめる風までも伝わってきそうになります。そして、その異郷性に異常なまでに憧れてしまいます。行ったことなど勿論無い、しかし何の変哲もないその田舎街の風景や風に、その騒音や大地そのものに何とも言えない憧れを感じてしまいます。不思議です。そこに住んでいる人にとってその風景は日常なのですが。私が実際にその街、その村を訪れたとしたらどうなるでしょう。そこには想像の領域を突き抜けて物質的な感覚が皮膚や鼓膜や目を通じて迫ってくるわけで、憧れとはまた別の質のものになっているはずです。つまり「現実」というものです。憧れは憧れのままにしておかなければならないことも、あるのでしょうね。
ごくまれに、望遠鏡で星を見ます。が、茅ヶ崎で見て楽しめる星はせいぜい木星や土星くらいで、もっとずっと遠くの銀河はあまりよく見えないので、ハッブル宇宙望遠鏡の写真集を何冊も買ってよく眺めてます。写真集を通して眺める遠くの星は、最も遠いところで約130億光年先の(昔の)銀河と計算されています。宇宙が出来て7億年後の姿とも言われていますが、それはそれで現実というより、どんな事があってもリアルに掴むことが出来ない想像の領域、つまり憧れです。一方で、望遠鏡で覗いた木星はリアルなものです。ここに横たわる大きな溝は絶大で、私は写真集で遠くの星たちを眺めている方が好きだなと思ったりしています。目で見る木星はそのリアルさに驚き、そしてもっと子細にその模様や衛星を見たいという方向に欲望は増幅されます。しかし、ハッブルディープフィールドで立ち現れるその映像は、もっと別の方向、精神がどっかに飛んでいってしまって、それをもっと子細に知りたいとは思いません。その星を僕は見ているのか?そんないわゆる哲学的な疑問と戯れたりしながら。

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