Column

21/06/11

どうやら世間的にはどうしてもクリエイティブに、つまり創造的に生きることを否定したいらしい。そう思ってしまうのは、やはり電車に乗っていて「めんどい間違い探し」の絵本が、本当かどうかコロナ渦ですごく売れているらしい。それはそれで良いとして、まことしやかに書かれているコメント。「こどもがゲームより熱中している!」「最強のひまつぶし」、前半は親の子に対するコメント、後半は分からない。しかしなぜ、子供がゲームより熱中することが親にとって嬉しいのかが私には謎で、ゲームという比較の対象が本当に今やることなのかを疑うことはしないのかがもっと問題。私が親なら間違いさがしばかりしてないで、文字のある本でも呼んだらどうだ?となりますが、世間的にはまずはゲーム。ここは避けられない。なぜならば自分もやるから(笑)ゲームも間違い探しも、これは言わば他人の仕掛けたストーリーをトレースする行為で、これは極めて受動的な行為、娯楽と言えます。そしてその結果、およそ導かれる結果は「こればかりやっていると何も創り出せなくなってしまう」です。はい。そんなこと言っても分かるわけない、そうかもしれません。最強の暇つぶしという評価が絵本という商品の販売促進に使われる時代ですから、世の中さほどに暇を潰したくて仕方がないのでしょう。10年前と違って電車に乗ると、乗客のしていることはほぼふたつ。寝てるかケータイか。本は20人にひとり、スケッチブックに何かを書き留めたり描いたりしているひとは、確率的には限りなく0%。本を読む行為も受動的です。ですので、本を読んだ時点では勝負は決まりません。その後、何かしらの方法でアウトプットしなければ意味がありません。残念ながら電車でアウトプットしている人には出会わなくなりました。私はその意味では異端ですね。きっと。ペンを片手にうんうん悩みながらたまに本を開いたりしてますから。

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