15/11/05
イスタンブールに行ったので、そのことを少し。
まず強く感じたことは、都市における界隈です。時間のある限り、ひたすらに歩いていましたので、つまり歩くことに目的は無いので、移動に伴って変化する、街の雰囲気にはかえって敏感になるものです。基本的には観光客らしき風情の人が大勢歩いている通りは、建物も小綺麗で掃除も(ある程度は)してあり、とりあえず明るい。でもそうではない街に突然に入り込んでしまうことは、偶然でも何でもなく、何も考えないで歩いているとすぐにそうなります。つまり、かなりやばそうな貧民街が、旧市街地にも新市街地にも、あちこちに点在していて、そこに入り込んだら、空気で気がつきます。
その空気感が、実は界隈と呼ばれるものです。
日本でも界隈という言葉はたまに耳にするわけですが、実はそれを実際に感じることは、よほどのオタクでない限り難しい。つまり、悪く言えばどこまで行っても同じ風景、同じ空気が漂っているということになるのかもしれません。海外から来た観光客にとっては、もはや東京全域がテーマパークの様にすら感じられるのではないでしょうか。
さてイスタンブールですが、我々建築デザインを生業にしていると、貧民街のような異空間に、とても興味をもってしまうのですが、一歩間違うととても危険な行為です。何しろ突然ですから。あっ、と気がつくとそうなのです。とりあえず引き返すのもアレなので、そのまま突っ切ります(笑)通り過ぎるまで、割とどきどきしたことが2度ほどありました。そのときは、スケッチはおろか、カメラのファインダーを向ける行為は一切出来ませんね。後になって、1枚くらい撮っておけばよかったな、と思うものですが、現実的にはその時は無理でした。
空気の違いの一番は、まず汚さ。ゴミは基本的に道路脇に捨ててある様です。それから洗濯物は道端。そこまではまだいいのですが、子供が裸足になると完全にその界隈です。それから建物と建物の間の隙間が多くなります。つまり、壊れて朽ち果てて空地が出来るのです。そして、その空地はそのまま放置されていて、基本的にはゴミの山だったりするわけです。地元には暗黙のルールがあると聞きました。ですので、地元の人は絶対に入り込まないし、最初から興味などない。彼らにとっては日常ですから当然ですね。それがたった道1本挟んで急に空気が変わるので、その劇的なまでの<実存風景>と、その<意味>の変化は、絶対に日本では体験出来ないことです。