Column

18/03/19

少し前に、我が家のiMacを修理に出しました。理由はモニターが壊れて画面に何も映らなくなったためです。買い換えるかどうか迷った挙げ句、修理屋にiMacを持ち込み、早速中身を拝見とばかりに、シャープで美しいアルミ造形に完璧に収まっているモニターをガパッと分解。事務所で主に使っているDELLコンピューターとは似ても似つかないそのコンパクトで芸術品とも呼べるフォルムの何処に、コンピューターとしての機械が詰まっているのか、わくわくしながら見ていました。が、そこに現れたのはぎっしりと充填された基盤とメカの数々。当たり前といえば当たり前ですが、やっぱりそうだったか、という落胆が襲ってきました。なぜ落胆したかと言うと、つまりDELLコンピューターの中身と入っている物たちの様相が同じだったからです。たしかにぎっしり、隙間無く充填されていましたが、結局は古典的なコンピューターなんだなと思い知らされたことががっかりでした。

いつも思うのですが、これから先、こういった機械はどのような進化を遂げるのでしょうか。一つの現実的な将来像として、量子コンピューターの実現があるでしょう。これまでのスーパーコンピューター(日本の京の様な)を古典コンピューターと呼ぶそうですが、それとは全く異なる計算アルゴリズムで、圧倒的なコンパクトさと飛躍的な計算スピードを実現するそうですが、私がびっくりしたのは、その機械としての様相が、これまでのコンピューターと全く異なる点です。つまり基板とICチップが幾十も折り重なる風景ではなく、小さな鉄の箱を電線で結びつけただけの空っぽに近い箱です。ほんとに空っぽ。体育館ほどの体積を要する京に、その空っぽの箱が勝つ(らしい)ことを目指すのですから、これは驚きです。さらに時代も進むと、私はそういった機械が有機化して行くのではないかとすら思います。いつも思い出すのは、風の谷のナウシカに出てくる巨神兵。これは人類の末裔が、その圧倒的なテクノロジーの末に開発した機械であり生物の様なものではないかと考えています。我々の将来は、スカスカな機械かドロドロの有機体か、そのどちらかに支配されているのかもしれません。

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