Column

07/05/11

昨夜遅く、いつものように本を読んでいたつもりが、気が付いたらなんとテレビをぼーっと見ていて午前1時だった。特に無内容な相変わらずのバラエティーだったようで何も印象に残っていないから余計に疲労感が襲ってきた。これは生きることの浪費だな。逆に読めば疲労・・・・私は日頃ほとんどテレビを見ないので、と言うより見たくないので、妻や子供の後を追っかけてテレビを消す役回りだ。消してさっさと音楽をかける。聴くというよりはとりあえず流れている環境が心地いい。日頃の業務を考えてみた。クリエイティブと言えばかっこいいが、そんなの全体の1割にも満たない。ほとんどは決められた物事を予定通り遂行するための根回し、処理、事務手続きといった内容ばかりで、それがアトリエの現状。やはりそれら消費、浪費の類。きっと創造は浪費の上に成り立っているんだな。浪費はよくない、何かを作り出す側にいたいと考えてきたが、作り出すという行為が、脳内現象の領域(想像)を飛び越えて、物質的な何かを出現させる欲求にまで行ってしまえば、やはり何かを犠牲にしてしか成り立たない。音楽を流す理由も考えたり本を読むのに心地いいからだが、そこにも電気の浪費が潜んでいた。それが現代というものか。近代以降、特に石油を中心にして浪費の文化がスタートした。浪費の原動力は言うに及ばず物。物はものすごい勢いで流通して捨てられる。一方で新たに物をこしらえる人もちゃんといるわけで、作るにはエネルギーの消費が欠かせないわけで、結局のところ環は閉じて堂々巡り。

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