Column

10/10/06

 岬という場所があります。私もそういったところが好きで、少し前にも出張ついでにスタッフと秋田県にある岬に行ってきました。「突端マニア」と笑っていましたが、まじめに考えるとけっこう奧が深い。岬に行った時の気持ち良さは、最果ての地、的な「これ以上行けません!」といった刹那だろうと思います。つまり、これ以上どうしようもありません、という。その演出に欠かせないのは、その先に茫洋とどこまでも広がる海です。向こうに何かが見えてしまったら、その刹那は半減してしまいます(笑)。と同時に、「でもその向こうには○○大陸があるんだよな」などとつまらない事を考えてしまったらもう最悪です。突端マニアとは呼べません。
 それはつまり想像力です。私が幼い頃に見た絵本によると、たしかに海の向こう側には滝がありました。その滝の向こうは・・・語りようがありません。想像力の限界を超えています。語り得ないこと、言葉に出来ないこと、それを語ってしまうのが現代社会というものですから、黙っていられません。分からないことを放置する勇気ということについて、私はよく言葉に(文章に)します。現代社会は計画性があることが良いとされている社会ですから、分からない、などと言ったらぶっ飛ばされてしまいかねません。でも分からないからこそ、生きている意味がある、と言いたいのです。

 夢という言葉をみんな平気で使いますが、夢の内訳を言葉にしてしまった瞬間に夢ではなくなる様な気がしています。多くの場合、言葉に出来ることは現実ですし物質的ですから。言葉に出来ないことは「絶句」するしかありませんので、言葉に詰まってしまう人が私は好きです。言葉がどんどん出てくる人は信頼出来ません。突端から海に向かい、ただただ呆然と眺め続けるしかないのが人生であり、夢というものかと思います。

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