11/12/03
2011 . 12 . 3
実は少し前に携帯を変えたのですが、周囲の波に反してiPhoneではありません。それまで使っていたスマートフォンがあまりに異常な動作をするので仕方無くといった感じですが、誰もが知らないEMOBILEです。おまけにこの会社、電波がだめです。地方出張が多いのですが主要な駅を出て電車が数分走るともう繋がりません。特に東北、秋田とか、、、(笑)けれど、EMOBILEは元々使っていた会社ですので特に気にしません。重要なのは、買い換えた機種がなぜか携帯電話とスマートフォンが一体化した様な,何ともへんてこな姿なので、それがおかしくて自分でもなぜ買ったのか不思議だったのですが、理由が分かりました。僕はたぶん機械式ボタンがほしいのだと思います。冷静に考えれば以前使っていたスマートフォンも、スライドするとちっちゃなボタンが沢山!出て来ました。QWERTYキーボードってやつです。最近の新しいものは、iPhoneをはじめとして機械式ボタン(メカ)を一切持たず(スイッチ以外)電子基板の集積で出来ており、さらにどんどん薄くなって行きます。で思ったのですが、機械だからこそ薄いことやコンパクトなことに対する驚きや感動があったはず。小さいのに巧妙に設計、制作、さらに組み立てがされたその動きに凄みがあったのです。小さくすることに職人技的なこだわりを感じていたのです。電子基板であれば、たとえばmicrSDがでっかい容量を内蔵して発売されても別に驚いたりしません。1㎝角のちっちゃなチップに何千枚もの写真が詰め込まれていても。その勢いで行けば、ぺらぺらに薄いモニターやスマートフォンが出て来ても当たり前に思えますけど、機械はそうは行きませんから。私の家に古い計算機があります。とても薄く小さいのですが、そこに精緻に作られたボタンが整然と並んで見る者を圧倒し、捨てるな!と言っています。手仕事を感じるからでしょうか。決して手で作っている訳ではないと思いますが(笑)あくまで比喩です。集積回路の内部は当たり前ですが眼に見えるスケールを遙かに通り越して、もう私には手に負えません。だからその蓄積であれば小さくて薄くて当たり前と私は考えてしまいます。何事も、手に負えることが大切なのです。スケールもスピードも。そこを通り越してしまってブラックボックスになると、どうやら愛着が沸かなくなってしまいます。携帯のボタンは、何となくその名残で最後の砦かもしれません。