Column

12/12/27

スタッフと、まだまだ年を越している場合ではないな、と話をしているあいだに本当に年の瀬となってしまいました。今年もコラムを随分さぼったことだけが印象に残ります。忙しければ忙しいほど月日の経つのは早いのでしょうか。それならばそれはそれで善としなければなりません。しかし1年前のスケジュール表を遡れば、どういう訳だか随分昔のことの様にも感じられます。やはり時間の流れが常に一定だというのは人の勝手な解釈であって、人それぞれ伸びたり縮んだりしている方が素直な感じがします。誰にとっても時間の流れが同じであることは、人とは何の関係もない水晶の振動によるクオーツ時計が証明している様なものでしょうが、我々がこの世界で生きている限りそれを覆すことができないことも事実です。
僕たちをとりまく現実には分からないことがたくさんあります。わかり得ないことを問うてはいけないのかもしれませんが、そこにこそロマンがあります。そもそも光がなぜあんなに早いのか、それ以上早く進む粒子?振動?がこの世に存在しないと言われることも不思議ですね。毎度の話題ではありますが、人類が観測可能なもっとも遠い天体までの距離が132億光年くらいとすれば、そこまでは分かるがそれから先は分からないということでしょうか。つまり見えているものは「分かった」ことなのでしょうか。おそらくここの勘違いが人類を不幸にしている一因かもしれません。分からないということ。そのことを真摯に評価することが本当は大切なのではないでしょうか。分からないということは、つまり自分自身の弱さを認めることでもあります。しかし、そこから未知の世界へ通じる唯一の可能性が開けてくるような気もします。その未知の世界とは、観測可能な領域を人智を尽くして拡大してゆくことではなく、見えないことや、分からないことへのロマンを持つことです。科学の線的な発展はそのうちに陰りが見えてくるはずです。僕たちはもっと人それぞれに、自分をとりまく360度全周に視野を広げ、フォーカスを定めることなく茫洋と広がるその空間に自己の意識がやわらかく伝搬してゆく感覚をたのしむことが大切なのではないでしょうか。
今年、クライアントやメディア関係者をはじめ様々な方にお世話になりました。来年もどうぞ宜しくお願いいたします。

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