Column

13/06/14

今日、大学で学生と話しをしていて、どうすればいいですか?と質問されて一瞬ひるんでしまった。もちろん建築デザインの授業のことだけど、軽々しくそういう質問が出てくることに本当にびっくりしてしまう。よくあることだけど。ああすればこうなる、という計画性、別の言い方では因果関係の中だけで生きてきたとすれば、そこに自発的に思想を開発して思考そのものを積み上げていくなどといった冒険は犯さないのだろう。「どうなりますか?」ではなくて、「どうするか?」が求められているのに、その先の橋を叩きたがる。どうなるかが分かっていたら、もうやる必要がないではないか。と僕は言いたくなるのですが、学生にはどうその事の本質が分からないらしい。やるせないですね。教育は常に評価が伴い、その評価は文字として情報化されます。つまり結果が情報化される訳ですから、やったこととその結果が極めてリアルに連動している様に思えます。するとそれ自体が目的化してしまい、その結果もっとも大切な自分で考える力、考える体力を鍛え上げ、世界を切り開いていくという目的を失ってしまいます。教育は成績のためにあるのではなくて、その先の世界を切り開いていくために必要な体力と知識を得るためにあること、分かってほしいのですが。

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