Column

08/06/10

 神奈川県立近代美術館での絵画展は葉山館と鎌倉館の両方で行われていて、前回の葉山館に続いて鎌倉館にも行ってきました。久しぶりの鎌倉館だったので、蓮池に面したピロティ空間に列柱の影と蓮池の光が反射するのを見たかったのですが、生憎の小雨模様。しとしと雨の降る蓮池ははじめてでしたので、それはそれでいいものです。ところで、前回は古賀春江氏の絵が見たくて行ったのに対して、今回は特別に目的とした作家がいたわけではなかったので、かえって多くの絵をじっくり味わう事が出来ました。とりわけ、今回の絵画展で強く惹かれた本田綿吉郎氏の中禅寺湖夜景と中村不折氏の根岸御行松付近夜景については、油絵の暗闇表現の魅力にはじめて気が付いた様な気がしました。暗闇を絵画で表現する、ということはもしかしたら私は今まで意識した事がありません。日頃建築の空間に向かいながら暗闇をどうやってつくるか、と考えるのですが、絵で暗闇が表現出来るなんて、どう考えても私の下手な技術では出来ないから、正直驚いた。暗闇は見えない。見えない中に何かが僅かに見えて、その向こうにある何かはただ想像するしかないのですが、その空間的な奥行き感は異状なまでの臨場感があり、美しいとか感動とか、そんなことではなくて、吸い込まれる様な感覚です。ただ吸い込まれて動けなくなる、そんな印象を強く持ちました。すごい!
そういえば、昨日の夕方、段々に暗くなるそんな時間に、ちょっと暇だったので村治佳織のCDを聴いていたら、武満徹のギターの為に作曲した「すべては薄明のなかに」というのがあって、何とも言い難い、茫洋とした雰囲気の曲ですが、移ろう暗闇と明るさの中に、ふわふわと漂う印象がとても気持ちよく、「暗闇の中の存在」ということを何となく考えていました。見えないことと存在しないことは明らかに違う。「すべては薄明のなかに」。暗闇から発想しないとすれば、きっとそういうことかな。武満の考えていた音楽的空間はいったいどんな色をしていたのだろうか。

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