Column

カテゴリー : 2008年レポート

「三内丸山遺跡」レポート

2008.12.02

先月中頃青森に用事があったついでに、スタッフと三内丸山遺跡に行ってきました。実は以前に1回だけ行ったことがあったけど、そのときは雪が積もっていて、しかも時間がなかったのでじっくり見ることが出来なかった。

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「うだつのある町並み」レポート

2008.08.12

先日、徳島県で始まる仕事のクライアントにはじめて会いに行ったついでに、脇町にある「うだつのある町並み」をスタッフと一緒に見に行った。当日、何しろ暑くてくらくらになりながら歩いたので記憶も薄れ気味ですが、あらためて気が付いたことを幾つか。

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「大谷資料館」レポート

2008.06.10

先日、宇都宮へ再度行く用事が出来たので、今度は大谷資料館に行ってきました。もしかしたらご存じない方も多いと思いますが、昔から塀によく使われている大谷石は、宇都宮市郊外の大谷という地名の山で戦前からずっと生産され続けている石なのです。比較的軽くて加工が容易、さらに独特の砂岩の様な風合いや暖かみがあり、既に取り壊された旧帝国ホテルの外壁や装飾全般に使われていました。欠点は風化に脆く、汚れやすいという事でしょうか。

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「日光旅行」レポート

2008.05.02

先日、宇都宮で行われた展覧会のついでにスタッフを連れて日光と鬼怒川温泉に行ってきました。旅行というほど大げさなものではありませんが、こういう機会でもないとなかなか行けない場所も案外多く、私は実は日光も鬼怒川温泉も行ったことがなかったし、スタッフも同じだったからちょうどよかった。日光で何を観るか、なんて考え出すとまるで観光になってしまうから、あえて何も調べずに(とは言え、学生時代にブルーノタウトの東照宮批判は読んだから偏った知識だけはあったのだが)気軽に行って来ました。東照宮へと続く参道を前にして、予想外に庭園があったので、興味が湧いてきて寄り道。中はだだっ広くて凝縮感の少ない雰囲気だったが、池の畔に建つ3帖しかない古い休憩小屋を発見。

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「岐阜で見た町屋」レポート

2008.03.14

幸運にも、私の好きな岐阜で継続的に仕事があるので、時間を見付けては長良川沿いの古い街並みを見てあるくのが好きだ。先日初めてスタッフを連れて、ふらっとお店の様な、雑貨屋の様な町屋に入ったら、想像以上に保存状態がよく、さらに天井高さの低い2階や、中庭などにも入る事が出来、ちょっと休憩するつもりが1時間以上も長居をしてしまった。民芸品やまさにシーズンだったひな人形などが華やかに展示されているのを横目で見ながら、2階へ上がって通り沿いのぐっと天井の下がったお座敷にぺたんと座る。天井高さのバランスや居場所の分節、空間の躍動感、障子の光と壁の分割と床の間を絡めたシークエンスをレクチャー。その後しずしずと、今度は1階の中庭に面した奧座敷へ向かいぺたんと座る。障子で切り取られた中庭の風景をしばし見る。手入れが十分に行き届いているとは言い難い庭だが・・まぁ、いいね。暗さがいい。暗いから庭から光りが遠慮がちに流れ込むそのグラデーションが美しく感じる。

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「Super Jury Program Winter2008&KD Award」レポート

2008.02.20

先月、東海大学建築学科の秋期総合講評会と東海大学建築会の主催するKD賞の審査会が開催されましたので簡単に報告します。総合講評会は年に2回開催されるのですが、秋期の方が各学年の課題の難度が高まると同時に、学生の方も模型や作図をはじめとするプレゼンテーション能力が高まりますので、見ていて楽しいのですが、我々講師としては、僅か10分程度のプレゼンテーション時間内に、学生の考え方や解き方についてある程度理解し、各課題ごとに批評をしなくてはならず、しんどいのも事実です。かならず発言しなくてはいけないのではないのですが、特に自分の担当ではないクラスの課題については、初めて見る課題と解だけにとても興味があり、きちんと批評してあげたいといつも思いながら参加しています。毎度の事ですが、学年が上がるにつれて優秀になっていく学生もいれば、消えていなくなってしまう学生もいます。入学当初の建築に向かう興味が根本的に失われてしまったのであれば仕方ないですが、やはり不器用な学生は、現在の緻密にダイヤグラムを組み上げる事や、つまり簡単に言えば全てに「理由」が求められる教育について来れないのではないかと思います。今現在の苦しさから逃れる為に道を逸れてしまう、そんな学生が多いと思います。大切なのは、その先を見ること。目標はずっと先の10年、20年、30年先に、自分がどんな作品を創っているかだから、目を細めながら遠くの風景を見ながら取り組んでほしいと思います。

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「正月の夕方、自宅の中庭を見ながら考えたこと」

2008.01.12

謹賀新年 年明け早々、息子が水疱瘡にかかってしまったので、正月はどこにも行かず箱根駅伝を旗を振って応援して、家の掃除をして終わりました。特別なことをしないという過ごし方を一般的には「日常」と言い、普通ではない事は「非日常」と言います。でも特別なことをしない時にしか、普通の中に潜んでいる新しいこと、あるいはしばらく忘れていた新鮮な出来事を発見出来るチャンスがないのも確かですね。ということは、日常の中にしか非日常は存在しない、と言ってしまってもいいのかもしれない。例えば旅行に行ったとする。これは十分過ぎるくらいに非日常だが、非日常の中から非日常は発見出来るのか?もしかしたらそれは合目的であり過ぎるがために、非日常を旅行先で発見しました!とは言いづらい立場ではないか。もっと掘り下げて考えると、そもそも非日常に基準など実は無く、単なる個人の思い込み、個人単位の相対的な感動の度合いによってその非日常性が決まるのではないか。ならばわざわざ旅行など行かずとも、むしろ今居るその場で、日常の中でこそ非日常は見つかるかもしれない。

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